昭和20年後数十年公衆浴場はおおはやりでした。
その頃農村は別にして町内で自宅に浴室を備えている人は珍しく国民は皆公衆浴場へ行ったからです。
そしてその入浴料金は物価統制令の適用を受け、25円と定められました。その理由は、夫婦と子供数人、場合によっては祖父母が一週間に数回入浴すればかなりの金額になるから、国民の衛生と生活を守るためには低額に抑える必要があるという理由です。
その結果何が起きたかと言えば、お風呂屋さんは燃料費其の他の
経費をまかなうのに25円では不足であると主張するようになりました。政府や県は国民の福祉を守るためには低額でないと困るという理由で値上げを渋り勝ちでありましたが、遅れ遅れて45円、50円、125円と年を追って値上げいたしました。
お風呂屋さんは安い燃料を求め、家屋取り壊しの廃材などを遠くまで求め経営に腐心し涙ぐましい努力をいたしました。丁度その頃経済成長もあり人々は自宅に浴室を備えるようになり、お風呂屋さんへ行く人も極端に減ってきました。お風呂屋さんは廃業する人も増えて行ったのです。
私が突然お風呂屋さんの話を持ち出したのは、私の父が私に対してこの話を例に社会福祉のあり方について口すっぱく教育してくれたからです。
お風呂屋さんは家業として江戸時代以来お風呂屋さんを開業しており値段も自分で決めることが出来ました。第2次大戦前後から物価統制令で入浴料を決められるようになり、商売として経済原則によって入浴料を決められなくなったのです。江戸時代以来もり蕎麦一杯と銭湯の料金は同じであったのにという嘆きがお風呂屋さんから聞こえるようになりました。
国民の要望に応えて公衆料浴場の料金を低額に抑え国民の福祉を確保するのにお風呂屋さんの負担のうえに行ってはいけないという父の教えでした。
父は戦後の国民皆保険の医療制度が父の家業である開業医の負担の上に行われていると憤慨して、お風呂屋さんと同じ構造の話だと言いたかったのでした。(国民からすれば医者は金持ちで同意しがたいという人もおられることでしょうが。)
私が先日の参議院予算委員会で安倍総理大臣に申しあげたなかに、保育所が国民の要請に応じて延長保育をしたり、休日保育、夜間保育と広げていくことが、一部の方から喜ばれていますがそこで働く保育士の超過勤務手当ての確保はされておらず、生きた子供幼児の保育に疲労が重なってきているすなわちこのような福祉が保育士、保育所の負担のうえに行われているのではないかということです。
政治はこのようなことにも目をこらしておく必要があると思っています。お風呂やさんでは老若の日本人の交際の場になっており日本文化を形成していたものです。
posted by 松村りゅうじ at 00:50|
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